エスプレッソ歴史物語


第11話 日本のエスプレッソ


 第二次大戦後、エスプレッソは比較的早い段階で日本に入ってきました。
 例えば、イタリア海軍のコックで訪日中に終戦を迎えたアントニオ・カンチェミ氏は、大阪でイタリア・レストランを開業しましたが、マッカーサー元帥をはじめGHQ関係者の料理を作った縁で、最新式のマシンを得てエスプレッソをメニューに加えました。その後1955年に東京に進出し、現在も「ANTONIO'S」ほか数店を子供達が運営しています。
 あるいは、戦前からコーヒー豆の自家焙煎を行っていた京都「ちきりや」の秋山和三郎氏は1959年にマシンを輸入して以降、エスプレッソを作り続けています。

 日本では明治時代よりカフェが存在しており根強いコーヒー愛好家もいましたし、更に1950年代にはいわゆる「喫茶店」が数多く出現しましたが、しかしエスプレッソは上記のような個人レベルの導入にとどまっていました。理由は幾つか考えられますが、一つには戦後日本とイタリアの接点が少なくエスプレッソが日本人に知られる機会がほとんどなかったこと、一つには日本の「喫茶店」が「くつろぎ、語らいの場」であり、短時間で淹れて短時間で飲むイタリアのエスプレッソ・バールとはコーヒーを楽しむスタイルが異なっていたことが挙げられるでしょう。

 1980年にドトール・コーヒーショップが第1号店を出店したのは、喫茶店ブームが盛りを過ぎ、各業者が生き残り競争のために模索を始めた頃でした。カウンターでの立ち飲みを含むセルフサービス形式で安価なコーヒーを提供するスタイルは、従来の喫茶店との違いを明確にアピールして一定の支持を得ました。但し、イタリアのバールを参考にしたとはいえ、主眼はドリップ・コーヒーを新たなスタイルで提供することにありました。翌年にメニューに加わったエスプレッソもメニューの主役であったとは言えず、ドトールに追随した後発店のメニューにもエスプレッソが採用されることは余りありませんでした。

 1990年代に入ってグルメブームが到来すると、エスプレッソを提供する本格的なイタリア料理店も増えてきました。また海外旅行も手軽な値段で楽しめるようになり、留学生や駐在員を含め、欧州のみならず北米地域でエスプレッソの味を知る日本人が着実に増えてきました。客観的には、北米地域で急増したエスプレッソ・チェーン店のいずれかが、コーヒーの大消費国である日本へ進出するのは時間の問題でした。

 既に90年代前半より、シアトル系コーヒー店の新規参入や既存店舗の改革に向けた試行錯誤(エクセシオール等)が始まっていましたが、そうした中、96年8月、スターバックスの第1号店が銀座に出店しました。

 その後の経過は多くの方々が御存知の通り。現在も国内外のショップが入り乱れており、歴史は今も作られつつあります。今後の歴史を目撃するにあたり、個人的には、個々のショップの栄枯盛衰のみならず、以下の諸点に注目していきたいと思います。
(1)エスプレッソ・チェーン店がどの程度まで地方に広がるか。
(2)イタリア系、シアトル系のショップが今後どの程度日本化されていくか。
(3)エスプレッソを主力商品とする個人経営の喫茶店がどの程度増加するか。
(4)エスプレッソを自宅で飲む人口がどの程度増加するか。
(5)エスプレッソ・マシンの内外価格差がどの程度低下するか。
(6)日本のメーカーによる独自のエスプレッソ・マシンがどの程度開発されるか。
(7)エスプレッソに関する消費者向け情報がどの程度提供されるか。


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